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幸福へのメッセージ -1-


鈴木 和一 2003年9月

目次 ≫幸福へのメッセージ -1-
・第1章 「自分に正直に生きる事」私の略歴
・第2章 お金は権力 ・第3章 天国から送り返される
・第4章 天の導き ・第5章 魂の叫び ・第6章 悟り
・終わりに ・最後に
≫メッセージ-2-
≫今日一日だけ
≫タバコのやめかた

雑の心は悟りの心

人間としてこれ以上幸福に生きられる方法は他には無いと思う。
現実は99.9%苦しみとうまく行かない事だらけ
しかし、たった1%の喜びに感謝し、それを心の持ち方で
100%幸福だらけになります。

偽善者のように暗い顔をしたり、悲劇のヒロインを演じたりせず、
暗いと思ったら進んで明るく生きて下さい。

人間は心の持ち方次第です。

第1章 「自分に正直に生きる事」私の略歴

私は東京のはずれのあきる野市戸倉1944番地に生まれました。
戸倉小学校に入ってすぐ 学校にあるニワトリ小屋に登って騒いでいたそうです。
1年の1学期に五日市小学校に転校し、5年の12月に退学になりました。
よく五日市小学校でも 先生と皆で私を探しに行った と最近同級生に聞かされました。
 
刺激が欲しくて、一度授業が始まってから二階の手すりにロープをいわき、
いつものように逃亡しようと降りたら 下が校長室で山田校長につかまっちゃいました。
そして、おいしいものをご馳走になったのを覚えています。
その頃は小学校5年でした。
 
3年3組の担任の星野先生に今熊山にお嬢さんと連れていって頂き、
銀しゃり(白い米)のおにぎりをご馳走になったのは、今でも感謝しています。
5年のときの加藤先生にもグローブを頂いたのも感謝しています。

でも暖かい思いやりも私の心を鎮めることはありませんでした。
 
なぜなら、学校が面白くないからです。
 
先生が答えを教え、それが試験に出るから100点取って当たり前なのに・・!
つい最近まで なんで皆塾に行ったりしてそんなに勉強するのか解らなかった。
人間は皆100点を持っていて、間違いをチェックすれば良いのに、

狭い山の頂上の100点を目指して、他人を押しのけてまで100点取ったとしても幸福なんかにはなれないよ。
 
山だけではなく海の底を見つめ(心の中)ると、本当の幸福はそこにあるんです。

第2章 お金は権力

てな理由で小学校の私は福生や遠方に行く為、胸に名前と住所を付けられました。
 
私の母の実家は北桧原一番の山持ちで、生前、母から聞かされましたが、
戦争のときに銀貨である50銭玉を風呂敷きに17袋鉄砲玉として寄付したそうです。
母親に連れられて実家に行くと、近所の子供や年上の中学生が私を待っていて、
一緒に近くの駄菓子屋に行き、大判振舞をしました。
それが気持ち良く、お金にブレーキがきかないのが(最近の)2年位前まで続きました。
でも、お婆さんにはとても優しくしてもらい、感謝しています。
私の方は神社の賽銭を盗んだり、物をかっぱらったり、お金の権力を知り服従するしか無くなっていました。
 
小学校5年の春、五日市映画館(今の西武信用金庫の裏にあった)
の切符売り場に積んであるお金を下からそぅーっと行き、パッとつかんで逃げ、
駄菓子をいっぱい買い、早く食っちゃえと内野屋の向かいの路地でパク付いていたら刑事に声かけられちゃった。
 
それから5年の12月6日、教護員に送られ、4年半地獄の日々を過ごしました。

6年から中3までは先生の関係で日活の映画にでたりして楽しかったです。
 
18歳で青山の劇団総芸に入り、
当時100万枚売れた黒沢 明とロス・プリモスのバンドボーイを経て、
昭和46年内山田洋とクールファイブのマネージャーを最後に
体をこわしてリタイヤするまで本当に楽しい人生でした。
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第3章 天国から送り返される

私は物心付いた時から新しい事をしないと脳ミソが感動しないので、
そうしてないと生きてる喜びがないのです。
だから、人のした事をするのはつまんなくとても退屈であきちゃうんです。
 
たよりは只一つ自分の直感だけを頼りに生きて来ました。
 
芸能界では現在郷ひろみ、細川たかし、キョンキョンなどをかかえ、
成功したバーニングプロ社長の周防 郁男氏と関東プロダクションを成立してやったり、

六本木プロでは里見浩太朗さんも所属していてマネージャーをさせてもらったりで
とても楽しい人生でした。
 
楽しく生きるには「自分に正直に」がテーマの自分としては、うまいものを食って、良い服着て、
いい女に囲まれていれば最高と思っていましたが、子供が出来、芸能界をリタイヤしました。

実は心の病気にかかっていたんです。

夜も眠れず、胃ガンと診断され、アルコール薬物依存症になってました。
2003年6月1日で止めてから24年がたちました。
なんでやめられたと言うと、依存症者の手助けをして来たからです。

大学に行って勉強をしたり、その後アメリカとオーストラリアにカウンセリングの勉強に行き、
依存症者の力になりたいと寝る間もおしんで行動しました。


話は前後しますが、ある日 酒を止める集まりの帰る途中、コインランドリーに「マイアミで働いてみませんか」というハリ紙を見て、一ヶ月待ってもらい、運送屋で飛行機代を作り、
中3になったばかりの娘をつれて(旅行社には観光ビザなので帰りのチケットが必要ですが、
お金は片道だけそこで偽造してもらった)出発しました。
カウンセリングの勉強はやはりアメリカだな〜と思った通りでした。
英語の辞書を片手に、来ることは来たけど二日目に自殺しようかと思いました。

いつも私オーバーなんです。でも1ヶ月もしないで知人が出来、友人が出来ました。
幸福は行動を黙って起こすだけだとつくづく思いました。

毎日映画を見ているようでした。
英語はお金もらって日本語教えて覚えました。


フロリダ ドライバーライセンス昼はカウンセリングの勉強・夜はジャパニーズレストランで働いてました。

1年が過ぎた頃、フロリダ州の自動車運転免許も2,000円で取り、
落ち着いてくるとまともに永住権が欲しくなり、14歳の娘を一人友人の所に残し帰国しました。
すぐ戻る予定でしたが、当時アメリカ大使館はビジネスビザが必要と却下され、荷物、車はパーで、娘に送るお金は300ドル位だった為、娘はバイトしようとジャパニーズレストランに行ったらしいけど、グリーンカードが無い為使ってもらえず本当に苦労させてしまったと思っています。
ゴメンナサイ。

でも1000%一生懸命生きて来てるんです。
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第4章 天の導き

1ヶ月前にアメリカ行きたいなって思ってたら夢で見た所に1ヶ月後出会いました。
素直に願うと誰でも願いは叶うよ。
だって俺プール付きの家に住みたいっていつも思ってたら、
若い時は赤坂プリンスのプールにいたし、
アメリカでは400ドルでプール付きのアパートだし、
現在手作りであまり良くないけど300坪プール付きで陶芸やってるもん。


小さい頃、大人は言葉と腹から聞こえて来る言葉が違うと思っていました。
だから腹黒いっていうんだって知っていました。

五日市小学校の頃は、「俺は大人になったら乞食をやるんだ。」
と運動会の時むしろをしょって泥を顔に塗って穴の空いたズボンと服着て、
縄で囲った父兄の前を仮装行列してました。

念願叶って劇団の頃、新宿駅の中で寝ました。
夜1時にシャッターが降りたあと公安室の前をほふく前進で入ると入れたのです。

第5章 魂の叫び

私はボランティアでメッセージを続け、今は数え切れない程のアルコール薬物依存症者が社会復帰をしています。
自分は現地に300坪の土地を手に入れ、タクシーの運転手をしながら明けの日に日本アルコール薬物依存リハビリセンターを建てました。
しかし、国がアルコール病棟を作ってくれたので止めました。

現在 ダルク(薬物依存デイケアセンター)最初の所長の近藤恒夫氏が北海道から出て来た時、
日本マック(アルコール依存リハビリセンター)でチャリティー委員会をつくり、
一緒にお金集めをさせていただいてました。

国や厚生省にアルコール依存症はW.H.O(世界保健機構)や
アメリカ医師会が発表している通り 肉体の病気ですと訴え続けています。
しかし、日本のお医者さんは薬物を乱発し、薬物依存症者を増産しています。
 
厚生省の佐々木忠雄事務官にお願いした結果、現在精神病院にアルコール病棟が
全国に多く出来ています。
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第6章 悟り

大学で少し心理学、精神医学を勉強し、
アメリカ・オーストリアでカウンセリングを学んだのですがいまいちなので、
やはり宗教かと世が世なら長崎の平戸城のお姫様の修道女アンチラサンに
上智大学東洋宗教研究所の門脇佳吉先生を紹介していただき、
禅宗に通いはじめ禅寺にも行かせていただきました。

そして当時吉祥寺で「座禅会悟りへの道」をはじめました。

しかし、彼女がいても浮気心は治る事無く、下半身に支配され続けていました。
で立派な事言ったって 人間は心と体は別々なのです。
肉を止めない限り下半身の支配は止みません。
しかし、スポーツや力仕事をする時は食べないと力が入りません。
おかげさまで野菜中心の生活で今は下半身の奴隷からは解放されました。

<私の人生>
前半― 酒池肉林
中半― 目ざめ
現在 ―少しのボランティアと陶芸

終わりに

車で街を走ってると皆暗い顔をして歩いてます
本当に生きるのは大変です。
思わず頑張れって祈っちゃいます。


学問はソクラテスに始まり、その弟子で哲学の神様と言われるプラトン、
そしてその弟子で万学の祖と言われたアリストテレス、
そして今世紀最大のヒーローはアインシュタインの相対性理論とフロイトの精神分析って言われているが、もう一つ今世紀最大の心理学者へのテーマであるE・Hエリクソンのアイデンティティー
(自己証明・自己統一)もとても良い定義です。

今は中学校の校歌のように清く 明るく 麗しく 誠に生き オー 我等!って生きてます。
以前はアルピニストしてましたが山は死ぬのでやめて、10年前からサーファーしてます。

体を鍛えて輝いてないといい作品ができないから。

最後に

私 最後は女房に逃げられ、
全身麻痺で 筋無力症と胃がんで栄養失調の為、
目が見えなくなりました。
4歳の可愛い娘の為に頑張ったけど
自殺未遂の繰り返し死んでも死にきれなかったのです。
 
しかし、1978年とうとう自殺に成功しました。

4歳の娘が眠った後、大量の睡眠薬を飲み死にました。
 
死ぬのはいやだ死ぬのはいやだって思ってたけど、お婆さんが一度死にそうになった時
言ってた通り、国立阿伎留病院の面会謝絶のベッドの上の自分の体から抜け出て、
天国に行きました。

天の門には白髪の優しいおじいさんがいたので尋ねてみました。
昔クルセイダースの「帰って来た酔っ払い」って歌に
「天国良いとこ一度はおいで酒はうまいし姉ちゃんもきれいだ」って
言ってたの本当?っていったら笑ってました。

天国からこの世の声は良く聞こえてきて、
阿伎留病院の手足をいわかれて私のからだの横で担当医の湯川先生が
私の母に「もうあきらめて下さい」って言っているのが聞こえてきました。
でもおじいさんは黙ってました。

私は可愛い娘の為に戻ろうとは思いませんでしたが、天国のお爺さんがこの世に戻って苦しんでいる人の手助けをするように言ったので、病院の自分の肉体に戻ったのです。
それから北側の二人部屋で毎日来る人があの世に行ってました。


人間はいつか必ず死が来ます。

その時はこの世では味わう事の出来ない程
この世のエネルギーから解放されて気持ちの良いものです。

皆 楽しみに待ちましょう。


だから 偽善者のように暗い顔をしたり、悲劇のヒロインを演じてはいけません。

幸福になる方法は解ったでしょ。
心の持ち方一つです。

1%の喜びを100%に変えて下さい。

作り笑顔に必ず幸福は来ます。この世に生まれたって事はラッキーなんですよ。

人生は雪だるまのように重荷が増えていきますが、
生きているという事は毎日肩の荷を下ろしていく事です。


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